Softbank光の2年契約縛りの解除の方法(と、Softbankの対応のひどさ)
Softbank光のインターネット回線を解除するのはとても大変
ソフトバンクのサービスが大嫌いな理由がこれ。月末まで解除申し出れば解除料がかからない見え方だけど、実際には解除希望日の2週間前までに申し出ないといけない。だったら解除料不要期間は、月中にして予め印刷すればいい。これを分かっててソフバンはやってるから嫌い。#消費者庁 #故意に適当表記 pic.twitter.com/wkN8JutMr8
— ライアン (@intrapreneur_jp) 2019年12月22日
12月にSoftbankからインターネットの契約更新案内をハガキで受け取り、ちょうど他の会社に回線の切り替えを検討していたので、12/20に解約窓口のサポートデスクに連絡したところ、とても残念な回答をもらった。
契約解除にかかる違約金がかからない月に該当するものの、解除の申し出は、「月中」までに行わないといけない。解除の申し出受付から、最低でも6営業日はかかる。確実な手続き完了には2週間かかるとハガキには書いてあるので、本日(20日)に解除を実行すると、契約解除の「違約金1万円」がかかる。
確かに、ハガキには2週間前申し出について小さく記載があるが、それ以上に、「契約解除料不要期間 2019年12月1日~2019年12月31日」とBoldで書いてあるのが腹立たしい。であればと、「6営業日と書いてあるが、12/20に電話したんだから年内受け付けはさすがに間に合うだろう」と、伝えたところ、またイラっと来る回答。
NTTの工事完了で6営業日必要。Softbankのサポートデスクの営業日ではない。年末なので、NTTがもう休みに入ってしまうので、最短でも年明けに解除工事完了になる。だから、12月中の解除受け付け手続きの完了は間に合わない。
とにかく、12/20は、解除料不要期間だけれども、解除手続きの完了が終わるのが優先されると言われ全然折り合いがつかない。もう自分で書いていても訳わからない。
Softbank光の解除の基準は、申し出をした日じゃなくて、「ソフトバンクが解除手続き完了した日」が優先される
とにかくオペレータと話をしていてイライラしてくるのが、期間内に解除の申し出をしたのに、申し出した日を基準には一切の物事を考えてくれないこと。もう、オペレータに話したところで意味はないと思ったが、下記を端的に伝えた。
- このハガキの記載の仕方はとても不誠実であること
- 手続き完了には6営業日必要と書いてあっても、具体的な営業日が分かる術がハガキにはないから知りようがないこと(実際に電話しなければ、年末年始のいつが営業日に該当しないかは分からない。しかも、営業日はソフトバンクのサポートデスクの営業日ではなくて、NTTの営業日で計算されること。)
- とても納得できないから、解除料(違約金)はとにかく払いたくないこと
「自動更新無し契約プラン」に切り替えてすぐに解除すれば違約金が少なくなる
とにかくソフトバンクの対応が嫌なので、一日も早く解除したい気持ちでいっぱいになる。すると、そんな自分の気持ちを察したのか、同情してくれたのか知らないが、オペレータから一つ提案をもらった。
2年契約を一度更新した上で、契約プランを同時に、「自動更新無し」プランに変更してから、翌月に契約を解除すると、解除料は少し安くなる。 プラン変更手数料が3,000円かかるのと、翌月の通信料が日割り(約5,000円×利用日数÷月数)で発生するが、約1万円の違約金よりは安くなる。
「自動更新無し」のプランがあったこと自体とても意外だった。
2年縛りのプランしかないと思っていたが、確かにサイトを見てみると小さく書いてある。
ちっちぇー。ほんと、小さな記述。
この記載でプランの存在に気が付ける人は、間違いなく社内の人間だけだと思う。
自動更新なしプランは、4,900円です。
この対応が特例なのかどうかは定かではないが、この提案を飲むことにした。そして、手続きは解約から、プラン変更になるのでサポートデスクの窓口はここで切り替わり、次のオペレータに転送された。
解約意向を持った顧客からは一円でも多く回収して手放そう
日割り後の代金支払いは一円でも安く済ませたかったので、一日も早く解約の手続きをしたいと申し出たところ、ここでまたソフトバンクらしいイヤらしい対応を受けることになる。
プラン変更は当日に受け付けられるが、解約の受付は、次の月に改めて電話しなおしてほしい。加えて、次に契約されるインターネット回線の工事が終わってちゃんとつながることを確認してからかけ直してほしい。
一見すると、すごく親切に聞こえるが、私にはそう思えなかった。要するに、「契約解除されることが決まったならば、せめて最終月は一日も長く使わせてから解約させてやろう」というメッセージだと受け取れるのだ。
例のごとく、解約には約2週間がかかることを見込んだ方が良いことを察知し、契約最終月の1月中に解除したければ、月中の1/15までには申し出が必要だと理解していた。であれば、365日営業しているのがウリのソフトバンクのサポートデスクに、1/1に解約の電話すればよいはずなので、それでよいかと確認するとオペレータが驚きの返答をくれた。
次の回線で検討されているNUROは、工事予定日が突然変更されたりするので、早めに解約を申し出ておくと、インターネットが使えない可能性がある。だから、工事が完了して、インターネットが繋がることが確認されてから解約の電話をした方が良い。
もう、とにかく、顧客の意向など置いてけぼりで、ソフトバンクファーストな対応が終始するので、途中から面白くなってしまった。切り替え先のプロバイダーの運営について、ライバル企業が露骨にディするのはどうかと思う。
解約したい顧客を、ギリギリの汚いやり方で、一日も長くつなぎとめようとする姿勢には、ある意味感心させられるが、さすがに返答内容には半ば推測や嘘も混じっているので、トークスクリプトとしては最低だと思った。
少なくとも、自分もプロダクトやサービスの設計を行っている身ではあるが、Softbank光が自分の担当サービスだとしたら、レピュテーションとLTVの観点を考えたときに、信義・倫理・消費者保護の法観点を優先し、収益性のメリットがあったとしても、このスクリプトの実行は見送るなあと思った。
おそらく、高齢な方や、インターネットについて詳しくない方が相手であれば、このスクリプトで大半が契約更新に落とせるのだろうなと思ってしまったが、さすがに相手が情弱であることを理由にここまで貶めにいくのはビジネスとはいえどうかなあと思う。
そして、いよいよ年明け。解約のため電話をかけ直すと驚きの展開が...
万を持して、解約の電話を改めて年明けにかけ直したところ、ここでまたまたソフトバンクらしいイヤらしい対応を受けることになる。
プラン変更の処理が完了するのには、1か月かかるので、1/20以降でなければ、 解除の申し出が受け付けられない。だから、1/20以降に解除の電話してくれ。それまでは利用料がかかるけど理解してほしい。
何か仕掛けてくるだろうなとワクワクしていたが、さすがにこの展開は読み切れていなかった。そもそも、プラン変更処理は、ソフトバンク社内の事務処理の問題でしかない。さすがに、時間をかけてここまでの手続きに付き合ってきたがあまりに解せない回答内容だったので下記を伝えてみた。
- なぜ、事務処理の一端を、いちいち顧客側に担わせようとするのか?何度も解除の申し出を顧客に求めるのは、顧客が解除の申し出を指定された期日に間に合わせられないことを期待して意図的にやっていないか?
- ソフトバンクの事務処理の遅れに伴う利用料の支払の負担を、どうして顧客が負担しないといけないのか?自分たちで負担すべきだろう。
主張しなければ救済されないカスタマーサポートはどうかと思う
するとオペレータが「少々お待ちください、上長に確認します」となった。
そして、5分ほどたってから再度話が始まると、「1月分の利用料は免除いたします」と申し出があった。あまりにあっけない切り返しだったので驚いた。
この回答をもらった時に、不信感はむしろマックスになった。「だったら、最初に電話かけた時からこの対応をしてくれればよかったじゃないか」と。
何度も電話をかけ直しさせられ、合理的でない理由を聞かされたが、しつこく質問し要求を伝え続けた結果、最終的には、言いくるめることができないと判断された顧客となった自分は救済を受けられた(のだろう)。けれども、自分は、それを相手によって態度を変えるカスタマーサポートだとしか感じなかった。
何かサービス自体に欠陥があり、違和感があると感じているのであれば、顧客に対して誠実に向き合い、サービスを改修するべきだと思う。
少なくとも会話したオペレータ自身が私の質問に戸惑っていたので、何か違和感を感じているのだ。
改修に時間を要するのであれば、完了までの期間中は、同一の条件に該当する顧客には、積極的に均等な応対をする努力が当たり前に求められると思う。
年始に下記のニュースを見て、なんだかなあという気持ちにさせられたので、久々に記事を書いてみた。
年始めのビジネス習慣(名刺の取捨選別)
名刺をデータ化したところで大して役に立たない
仕事をしていくと必ず貯まっていくのは名刺だろう。
最近だと、SansanがCMを投下したこともあり、名刺管理サービスも一般化した。
おかげで、名刺をデジタル化して保管する手間はだいぶ減った人も多いと思う。
ただ、デジタル化するだけでは大して役に立たないと私は考えている。
名刺は、常に使える状態でスタンバイにしておく必要があるのだ。
大事なのは、名刺の取捨選別のルールを予め設定しておくこと
「いつ使うか分からないけど、せっかく頂いた名刺なので」と、キープしておく人も多いだろう。そんなあなたにお勧めしたいのが、下記のセグメンテーションだ。
「大きな決裁権を持っていて、機動力が高い」名刺を何枚持てているかが大事だ。
定期的にやるのが面倒な人こそ、年の初めに棚卸しすることをお勧めしたい。私は、毎年、正月明けで会社に人がいない暇なこの時期に、棚卸し作業をコツコツやっている。
大事な名刺の見分け方
動き出しも悪くて、組織を動かす力も小さいと思ったら、迷わず廃棄
廃棄セグメンテーションに入った名刺については、申し訳ない気持ちをぐっと堪えながらも、本当にきれいさっぱり廃棄している。少ない手札であっても、ピッカピカの強いカードをさっと選びだせる枚数にとどめておく必要がある。
名刺を見て相手の顔がパッと思い出せないなら、それくらいの関係性でしかないことを自分は自覚している。名刺をくれた方も同じように、自分のことは記憶にないのだ。ビジネス上、また再会する可能性もなくは無いけど、そうなったらまた名刺交換からスタートすればよいだけだ。
なお、廃棄する場合は、個人情報の観点から、シュレッダーにかけるようにしよう。
決裁権はまだ小さくても、動き出しの気持ちよさがあれば大事に育てる
Tier3は、外部のアウトソーシング先の名刺が多くある。特に、デザイン制作会社や、調査リサーチ会社、戦略コンサル会社、広告代理店の名刺があるのは大変に仕事を組み立てる上で重宝している。特にそれらの会社の現場スタッフであることが多いのだけど、アウトソーシング先で、「未来のエース=Tier1」になる可能性のある子達も多くいるので、大事にしている。Tier3からTier1への昇格を果たせるケースも多くあり、その場合は長い付き合いになっていく。
特に、ベンチャー企業で働くと、社内のリソースだけでは全く仕事が進まないことは多々ある。そんな時、仮想のチームスタッフとして一緒に働いてくれるこのセグメントの名刺はすごく大事である。
動き出しが悪くても、確実に決裁権を行使してくれると思ったらキープ
Tier2は、イメージとしては大企業の取締役クラスだ。大きな組織のトップであるがゆえに、連絡してからの動き出しは遅い。ただ、然るべき部署に繋いでくれる信頼感はずば抜けて高いので、大事に残している。一番有効なのは、過去に勤務した会社の元上司達だ。同じ会社に残っていれば、自然と昇格していたりもするし、転職されたとしても然るべきポジションで活躍されているので、話しかけやすい。なので、所属したことがある組織の元上司達の動向はしっかりとチェックしておくほうが良い。
逆に、名刺の肩書は魅力的であっても、仕事上で付き合いのない相手の場合、連絡しても紹介が上手くもらえないことが多いので、潔く廃棄にまわすこともある。結局は、相手の社会的地位よりも、自分と関係性がちゃんと作れているかが大事でしかない。肩書きによってセグメンテーションに迷うことなく、その肩書きを自分のためにちゃんと行使してくれるかで見極めるのがよい。
一緒に働くと、物事がスピードアップ&スケールアップする名刺を増やそう
そして、一番大事なTier1は、主にはTier3の上長が入っていたり、大企業の執行役員や部長クラスや、ベンチャー企業の社長が入ってくる。自分が何か新しい企てをしたいときに、プランニングがまだまだ粗くても、気軽に相談が出来て、その場で次のアクションまで決まり、場合によっては担当者のアサインまで終えられるクラスの人達だ。
Tier1の顔ぶれを見ると、仕事と直接関係無くても、ふらっと会いに行きたくなる人達が入ってくる。このセグメントの名刺が、毎年何枚増えていくかを見るのが、年始の楽しみだったりもする。
ゆっくりと顕在化してきた世代間の軋轢とその原因
なぜ、「好景気の実感がない」と答え続ける人が多いのか?
先日、こんな記事を読んだ。
マーケティングの端くれとして、やはりマクロデータの変化については注目しているのだけども、なぜ、景気についての意識調査だと「景気は上向いていない」と回答する人が大半なのに、株価は過去最高になったり、不動産価格が上昇したり、自殺率が低下するのか腹落ちしないことが多々あった。
そんな時、この記事を読んだのだけど、竹中さんが、下記のように論ずるのを見て、初めてそのモヤモヤの整理が出来た気がする。
しかし日本経済の成長率は1990年代に下方屈折しており、往時のような成長率には戻らない。
それでも景気の回復と後退の循環的な波は起きている。政府でも民間でも、エコノミストは成長率の絶対的な高低とは別に、そうした循環的な変化に注目して「回復期」「後退期」と言っているわけである。
ところが、一般の中高年以上の人々は自分が経験した過去の景気が良かった時の記憶に照らして判断する結果、「景気回復を感じない」という回答をする人が多数派になるのではなかろうか。
30-40代は、上昇志向がないというよりも、下降したくないだけ
我々30代の世代というのは、物心ついた時にはバブルが終わっていて、それからずっと同じようなどんよりした経済状況であり、しかも貸し剝がしやら超氷河期やらありとあらゆるリセッションを眺めてきた。望もうが望まないが関係なく巻き込まれてきた私たちの世代は、今の長期の安定政権による経済政策の恩恵に実は感謝してる人が多いと思う。
そもそも私達の世代は「ジャパンアズナンバーワン」の時代を知らないので、日本人が一番贅沢してたのであろう良かった時期と対比したくてもできない。だから、超氷河期とか自分が身をもって知ってる一番悪かった時期との対比しかできない。だからこそ、あの最悪な時期に戻りたく無い気持ちが強いのだ。
少なくとも若い世代の就職率は高い訳で、オリンピックも開催される国の未来を明るくないという方が無理がある。次世代の経済大国「中国」の隣で、素晴らしい四季と清潔な街並みと法治が機能する「日本」でビジネスできるのはチャンスだとしか思えない。
今、日本について後ろ向きに語るのは、一番いい時期を知ってる世代なのかなあとふと思った。こんなはずじゃなかった、あの良かった時期に戻りたいと。
感情ではなく、勘定で評価をしてくれる、客観的なメディアが欲しい
それに、メディアも根本的には懐古的なスタンスだ。
そもそも、読者や視聴者の年齢が高まるにつれ、紙面も番組も編集のスタンスも消費者に合わせて「懐古的」にならざるを得ない。究極は、所詮はビジネスなのだから。
だからこそ、現政権が成し遂げた経済復興については、「表面上だけ」とか「富裕層しか恩恵に預かれていない」と都合よく切り捨て、感情的に評価すれど、勘定的には評価できないでいる。このことが、政局や経済などにおいて色んな局面で見え隠れし、結果的に自国経済への自信を取り戻せずに足かせになっているように思える。
下記のNewsweekのような記事をレガシーの新聞が書き起こすのはほとんど見かけない。
過去から決別するつもりもなく、懐古的に一本調子で論ずるだけの既存メディアの論調にも、我々の世代はシラけてしまうことが多いのだ。けれども、テレビも新聞も見ないけど、決してニュースを読まないわけではない。Newspicksや東洋経済オンラインなどのネットメディアを眺めつつ、FacebookやTwitterなどを活用して、国内・海外のニュースをせっせと集めて読み込んでいる。
高度成長期に「戻りたい」世代、氷河期に「戻りたくない」世代。
「あの良かった時期に戻りたい」と願う世代と、「あの悪かった時期に戻りたくない」と願う世代ではゴールが異なるのだろう。だから、常に論戦はかみ合わない。
世代間で、政治-経済-スポーツなど様々な場面で徐々にぶつかり始めているのはこんな理由なのかなと思った記事だった。
超ドメドメの日本人両親が、最小出費で子供をバイリンガルにする方法(前編)
バイリンガルに育てる決定打は、インターと留学しかないのか?
20-30年先を見据えたときに、日本国内でしか活躍できない人材に子供たちをするのか、海外であってもどこでも生き抜いていく力を身につけさせるべきか、答えは簡単に出せる。けれども、肝心な実現手段は、インターナショナルスクールの通学(もしくは海外大学への留学)以外に思いつかない親たちが多いと思う。そこで、自分の子供をどのようにバイリンガルに育てているかを書いてみたので、参考になれば幸いだ。
英語習得の鍵は、使うことの必然性と習慣化にある
私は、英語が全く使いこなせない純ドメスティックなステレオタイプな日本人だ。妻も私よりは英語が得意だけど、大学卒業以来使う機会も無く過ごしてきた。転機は30才を過ぎてからの海外勤務で、はじめて自分の語学力の無さに落胆し、そこから習得を始めた。
そのため、自分の子供たちには、将来の無用な苦労とチャンスロスをさせたくなかったので、英語習得については積極的に投資することを決めていた。
私は、自分の経験も踏まえ、24時間のうち1分でも多くインタラクティブに英語コミュニケーションが自然に発生する環境を整えることが言語習得のカギを握ると考えるようになった。とにかく、使い続ける頻度によって、習得度合いには差が出ると思う。大学卒業までダラダラと学んだ英語が全く力にならなかったのに、嫌でも英語に向き合わされた2年間の海外勤務によって一気にレベルが上がったことが、その支えになっている。
英語の利用頻度=家庭内+家庭外
いきなり利用頻度を上げようとすると、何から手を付けたらいいか分からなくなるので、まずは、積み上げ式で考えてみるのがよいだろう。英語を習得する機会を分解すると、下記のように整理できる。
利用頻度=家庭内+家庭外
(※ 家庭内=起床~登校まで+下校~就寝まで)
(※ 家庭外=学校+放課後+休日)
家庭内外でそれぞれの利用頻度を高める方法を見つけ出すトライが始まった。
素人が思いつくものは片っ端から試してみた
いざ、身近でできることからスタートしようとしたが、社会人になってからの英語学習とは異なり、幼児向けに作られた体系化された英語指南書は無かった。そこで、子供が2才を過ぎた頃から、割と手当たり次第、目に付くものを試してみた。
英語によるリトミック教室
地元の文化センターなどで開催されるサークル活動に参加してみたが、先生が「ド・日本人」で、発音が全くネイティブではなかった。そのため、肝心の英語音の音聞かせ自体が機能しないため言語習得の観点では意味が無かった。参加するなら、ネイティブの先生が開催する会を選んだほうが良いし、英語を目的にこうしたリトミックに参加するのは効率悪いと思える。
地元密着型の小規模「インターナショナルプリスクール」
自分達でできることが早々に思いつかなくなったので、英語に接触する環境を早速用意することにした。ECCなどの大手英会話教室が提供する幼児向けのプログラムもあるのだけど、コマで契約する必要もあり1回40分では浸透度合いが少し足りないなと考え、週2日程度半日預かってくれるプリスクール型を選ぶことにした。当時、2歳半の息子は、地元の預かり保育を使うことがあったのだが、その枠をいくつか「インターナショナルプリスクール」に充てる考え方だった。
幸い、自宅から歩いて15分くらいの距離にプリスクールがあった。朝晩の送迎もやってくれるし、先生はネイティブで、授業のプログラムにもリトミックやフォニックスなども取り入れており、芋堀りとかの季節イベントもやっていた。「今どきっぽい」運営形態で、期待値は高かった。
ただ、クラスメートがほぼ全員日本人の子供たちで構成されていたので、授業中は先生と子供たちの間は英語によるやり取り(といっても一方通行になりがち)なのだけど、子供たち同士のやり取りになると途端に慣れている日本語になってしまうのだった。
海外勤務でも、現地法人で日本人同士で仕事をし続けると英語が全然上達しないのと似ていたので、何かしらの手入れが必要になった。通えど通えど、自分から英語を口にすることは無いので、親としては残念な気持ちになった。
ディスニー英語教材/DWE(Disney's World of English)
プリスクールでの利用頻度では足りないと判断し、自宅でも英語と積極的に触れ合う時間を作ろうと考えた。自分で英語の発音を教えることが出来るわけではないので、DVDなどに教材が詰め込まれているものがよいなあと考えた。また、DVDを流している間、子供たちがそれに集中してくれると家事も出来るんじゃないかという期待もしていた。
そんな中、ネットでもよく広告を見かけるし、週末にららぽーとへ出かけるとよくブースを出店しているのを見かける幼児英語教材システム「DWE」が気になってきた。「体系だった」パッケージ型の幼児教材は無いのかと探していた我が家にとっては、ぴったりな教材だと思い、地元の営業担当に連絡し、自宅で実際にデモをしてもらった。そして、あれよあれよと気が付けば契約していた。確か、「ミッキーパッケージ+G」だと思う。
記憶が曖昧だが、初回契約時しか申し込みが出来ないプランがあった。「ミッキーマジックペン」はそれだったはずだ。「本をなぞると音が出る」というギミックは、3歳の息子にとってはたまらなく魅力的に映るので、結局契約してしまった。
注目すべきは、とにかく料金だ。
高い。今となって見ても、高いと思う。
いまだに我が家には7割以上の教材が新品のまま使われずにおいてあるのだけど、
もったいないことをしたなあと反省している。後述するが、DWEに支払った70万近い出費があれば、安価なインターナショナルスクールの1年分の学費に充当できる。その方が英語習得は早いし、効果的に費用回収できる。
次に、価格以外の面での評価としては、「40年前であれば優秀」という感じだ。
(※2017年に購入しているので最新版がどうなったかについては分からない。)
下記は、自分が子供達に使ってみての感想だ。正直使いこなせているのか分からない。
- フォニックスの言語習得プログラムは、構成や展開などのプログラムに最も重要な、「子供を惹きつける」力に不足を感じる。そのため、子供たちは飽き易かった。Youtube上にある「無料」コンテンツの方がむしろ力強いものが多い。
- コンテンツのビジュアル的な古臭さが気になる。登場する親子のファッションも昭和感が満載。演出も昭和感が強い。
- 売りであるディズニーのキャラクター達も、実は全ての教材に登場するわけではない。オリジナルのキャラクターや、子役たちが登場する場面の方が多い。
- 各地で開催されるリアルなイベントは、「おかあさんといっしょ」型の劇場方式になっており、インタラクティブ性は薄い。加えて、会費を払ってるのに、イベント参加するには更に追加で参加料を払わないといけない。英語をアウトプットする場としては不十分に感じた。
- 最も手薄なのは、インターネット対応の部分。教材がDVDで支給されるため、ネット経由でのコンテンツ更新がない。つまり、購入後に流行した「アナ雪」とかのキャラクターはいつまで経っても登場しない。新しい言語習得メソッドが出回っても取り込まれることは無く、次のDVDが出回るまで待つ必要がある。
もしも試してみたい方がいれば、ブックオフやメルカリをチェックしてみるといいかもしれない。ほとんど新品の状態の商品が多く出品されており、定価よりは安く調達できるので、それで自分の子供に合っていれば新品を購入するのが良さそうに思った。
1年ほど粘ったが、ほとんど話せるようにはならなかった
色々自分達でできることにチャレンジしてみたものの、納得いく成果が得られた気がせずに1年が経過した。振り返ってみると、家庭内・家庭外での利用頻度がやはり中途半端であった。
利用頻度=家庭内+家庭外
家庭内については、DWEを契約したものの、根本的に、息子達はディスニーのキャラクターが特段好きでもないのでDVDを上映しても、早々に飽きてしまう。だから、見入らないので、フレーズを真似もしない。習得が進まないという流れにはまっていた。
家庭外については、プリスクールに通ったものの、通学日数が限定的なことと、教室内で子供たち同士の会話が日本語になってしまうために、期待していた「”浴びる”ように英会話に浸る」ことができなかった。
そのうちに、翌年度の幼稚園をどうするか決めなければならない時期になった。
通い始めたインターナショナルプリスクールで、そのままキンダー(幼稚園)のグレードに進級すればいいと安易に考えていたところ、入学定員数の制限があることが発覚。週2で通っていた我が家よりも多い頻度で通学されていた家庭が多かったことから、結局、ロイヤルティの高い家庭を優先し入学者が決まり、息子は入学が出来なくなるという想定外の事態に直面した。
ここで今後の英語習得について、抜本的に取り組み方を考え直す必要性に迫られたのだが、このことが結果としてはプラスに働いた。むしろ、今となっては進級できなくてよかったと思う。
国内で最も海外に似た場所への引越しする決断
自分達なりの試行錯誤の結果、どうしても自力で言語習得の環境を整えるには力が及ばなかったり、親自身が英語を使うことからあきらめてしまうことが多かったことを反省した。そこで、自身が望む望まない関係なく、”浴びる”ように英語に触れざるを得ない海外での生活に近い環境でまた生活できないかと考えた。
要は、国内であっても、外国人居住者だらけの町で暮らせればよいという発想だ。
それなら、バリやセブに留学しなくても、カリフォルニアに引っ越さなくても大丈夫。
ご近所さんが外国人、学校の友達も外国人、お店の店員さんも外国人なら完璧だ。
問題はそんな好条件のエリアが、果たして国内にあるのかということだった。
英語が母国語の外国人の居住比率の高いエリアはどこなのか?
最初に思い浮かんだのが、港区の周辺(麻布や六本木)だった。
ただ、その次には、家賃が高くて生活が到底無理だろうし、通わせるインターナショナルスクールの学費は更に無理だろうと思った。とはいえ、自分はマーケティングの人間だ。数字的なアプローチをしてみることにして解決を目指した。
様々な人口統計データが開示されているが、東京都の市区町村別の全体人口と外国人の人口データは、区市町村、国籍・地域別外国人人口として取得できる。
区市町村、国籍・地域別外国人人口 (東京都人口統計課)
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/gaikoku/2018/ga18010000.htm
このデータによって、東京都のどの市区町村に、どの国籍の人が多く住むか分かる。
このうち、居住する外国人のうち、英語を母国語とする可能性の高い国(米国、英国、カナダなど)の人たちの割合が多い区は、上位から「港区・渋谷区・江戸川区」であることが分かる。逆に、練馬区や杉並区は英語圏の人口比率が低いことも分かる。
また、各区で多く居住している国籍には差があり、例えば港区だと米国人が多いし、江戸川区ならインド人、足立区はフィリピン人とそれぞれにばらつきが出ることも分かる。ここまでで、まずは「港区・渋谷区・江戸川区」が狙い目ということになってくる。
英語圏人口比率 「港区 = 江戸川区」 の衝撃
英語圏比率が高い区は、港区が圧倒的だけれど、港区で生活をする経済的な余裕はない。そこで、町丁単位で見て比率が高いところは、港区以外にもあるはずだろうという仮説を立て、そこを探し出すことにした。マクロでダメならミクロで勝負だ。
大まかなゴールは、「港区・渋谷区・江戸川区で、一番英語圏居住者比率が高い町」を選ぶことになった。ドリルダウンして、町丁を探し当てる。
これには、総務省の国勢調査が便利だ。こちらのデータでは、国籍別の外国人人口は分からないが、外国人の割合が高い、町丁が分かるので、前述のデータと組み合わせれば、おおよそのレコメンドエリアが見つけられる。
平成27年国勢調査 小地域集計 (総務省統計局)
第3表 年齢(5歳階級),男女別人口,総年齢及び平均年齢(外国人―特掲)-町丁・字等
これによって、英語を母国語とする可能性の高い国の人たちが多く住むのは、港区愛宕・赤坂・六本木・麻布といった従来から大使館や外資のオフィスが集中するエリアであることが分かる。ただ、これらの町が上位に来るのは想定内だ。経済理由で住むことは難しい。そうして、上から眺めて行くと...
なんと、江戸川区の「小松川・清新町・西葛西・西小岩」が上位に食い込んでいる。
これは想定外だったけど、嬉しい結果になった。
江戸川区に住んでいるインド人は、エンジニアやホワイトカラー
どうやら調べてみると、2000年問題で、システムエンジニアが不足した頃に、
日本のSIerがインド人のエンジニアの確保に動いたのがキッカケのようだ。
その後、インド人の先輩が多く住む江戸川区に、後輩が追いかける形でどんどん入居が進んでいる。特に、保証人が不要ですぐに入居が出来るURの物件があるエリアは人気になっている。
最近だと、メルカリもインドからエンジニアの採用に動いていて、この流れはまだまだ続きそうである。
また、特筆すべきは、入居してくる人材は、相当なエリートであることだ。
たとえば、江戸川区においては、インド人のホワイトカラーの比率は日本人のホワイトカラーの比率よりも多いという。ここからわかるのは、かつて単純労働のために海外から訪れていた人が多かった状況は変わり、より高度で専門的な仕事をするために日本を訪れる外国人が増えているということだ。
港区に比べて絶対的に家賃も安く生活費が抑えられ、葛西臨海公園に代表されるように緑も豊かで、東西線の混雑は問題ではあるものの都心部へのアクセスもいい江戸川区は、比較的、誰に対しても優しいインターナショナルタウンと言える。
前向きに考え続けるように自分自身(OS)をアップデートしておくこと
30代になる前に、本気で内面のアップデートを済ませるべき
30代が近づき、自分が担当する業務や役割が大きくなると、協働をお願いする相手も増える。今までだったら、協働相手は同僚だけだったり、上司が他部署の調整に回ってくれていたかもしれない。
けれども、立場が上がれば、話す相手は、年上だったり年下だったり、自分より上の役職者だったり、チームスタッフだったりと様々になっていく。そんなとき、一番大事なのは、ポジティブなメッセージを発する人でい続けることだと思う。少なくとも、ネガティブな発言ばかりの人とは一緒に働く人が減って行く。
ところが、日常的に、できないことが多く発生すると、人の気持ちはどんどん後ろ向きで保守的になって行きがちだ。人は、元来、環境に影響されやすい生き物なのだ。
常にモノゴトを前向きに捉えることの重要性
ポジティブな人のところには、常に前向きなパワーやアイデア(提案)が集まる。それは、その人にパワーやアイデアを持ち寄ることで、実現される可能性が高いと周囲の目に映っているからだと思う。だから、小さな力も大きな力になりやすい。
その渦の中心に自分がいるためには、ポジティブな人になりきるしかないのだ。
一つ目は、「思考」。
過去ではなく未来を見据えておく必要がある。
例えば、物事の捉え方は、言い方を変えれば全然景色も雰囲気も変わる。
【分かりやすい思考ロジックの違い】
- シェアは30%しかないと捉えるか、すでに30%を保持できたと考えるか
- 計画通りに営業が進んでいない可能性があると捉えるか、一部エリアでは営業が既に立ち上がりつつあると考えるか
- あなた(you)のやり方には問題があると指摘するか、われわれ(we)のやり方には改善余地がまだまだあると考えるか
- 過去の失敗原因の追求に時間を掛けすぎるのか、失敗の結果を元にした解決案のトライアルに時間を掛けるのか などである。
意外と、プレイヤーとして成功してきた人ほど、この思考に切り替えできないケースは多いものだ。
完璧主義による自滅を防ぐ方法 | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
逆に、Alibabaの創業者、ジャック・マーのVideoを見ると、前向きに捉え動き続けることの重要さが良く分かる気がする。彼は、とにかく自分の周りからネガティブなオーラーを発する人々との接触を避けるようにしているようだ。ネガティブなものをポジティブに変わるようにモチベートするよりも、ポジティブなものに働きかける方がよっぽど精神衛生上も良いことを彼は知っているのだ。
二つ目は、言動。
自分自身に毎日言い聞かせ、暗示に掛けるくらいの勢いで物事をポジティブに捉え発言する癖をつけないといけない。これは口頭でもメールやチャットなどの文面でも同じだ。本当に些細な表現の仕方によって、自分自身も伝えられた周囲のスタッフも影響を受けるので、とにかく言動には気を遣ったほうが良い。
人間関係でしくじる人に共通していた「残念な言葉の選び方」 | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン
TOHOシネマズの前身を創業された、山本マーク氏の著書(ポップコーンはいかがですか?)の中に、事業家に必要なのは「99%の冷静さと1%の情熱」といった話がある。
リーダーやマネージャーは、ファクトの基づく判断や、論理的な思考を重視しなければならないのだが、部下や周囲に対しては、必要に応じて「理」だけで押し通してはならない部分があることを肝に銘じなければならない。
むしろ、自分自身を前向きなスタンスにアップデートしておくことで、その発言によって、エモーショナルな印象を持たせて、周囲には「情」を感じさせるくらいがちょうど良いのだろう。
ネガティブな思考と言動をする悲観スタッフの活用
自分自身がポジティブになったとしても、組織で働く以上、ネガティブ思考の人と仕事をしなければならないことは多々ある。ネガティブ思考のスタッフはどのように生かすべきなのか?それは、ポジティブ思考が、現実回避思考になっていないかをチェックする役割だと思う。
名著、失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)にもあるように、「現実を直視せず、正しい情報が組織全体に伝達されず悲劇を拡大する」ことは事業運営において避けなければならない。特に、ファクトに基づいてポジティブに捉えることと、ファクトを自分の都合に良いように解釈し、周囲に嘘の情報を流すことは同じではないので、注意が必要なのだ。
意識的にやることも無意識的にやることも避けるためにも、悲観論者をあえてチームに残すのは有効な策になる。多様な考え方や捉え方が物事を成功に導く上では必要なのだ。とはいえ、悲観論者だらけでは、遅々として進まない恐れがあるので、割合をいかにコントロールできるかは、マネージャーの腕にかかっていると言える。
とにかく、人の物事の捉え方は、1日で変えられるものではない。トレーニングの期間が必要なので、20代のうちに自己暗示をかける勢いで取り組む方が、プラスの恩恵に預かれるようになる。
江戸時代と明治時代を結ぶもの
明治になる前から、維新は始まっていた
国立科学博物館(上野)に週末立ち寄った。梅雨も明け、子供を炎天下で遊ばすわけにも行かず、屋内で時間がつぶせそうな場所だったので、行ってみた。
標本が多く飾ってあって、恐竜のコーナーも充実しているので、子供も喜ぶかなあと思っていたのだけど、一番はまったのは自分だった。それも、「地球館の2階(科学と技術の歩み-私たちは考え、手を使い、創ってきた-)」だ。
元々、近代の中では明治時代が大好きだった。「坂の上の雲」に代表されるような、どんどん広がって行く未来への希望とか、近代国家への駆け上がり方には他の時代にはないスピード感があるので好きなのだと思う。逆に、江戸時代は退屈なイメージしかなかった。
ところがである。明治は、江戸時代から始まっていたのだ。
江戸時代は、情報が完全遮断された「鎖国」状態ではなかった
展示物の中に、江戸末期に作成された仕掛け時計「万年自鳴鐘(万年時計)」があった。説明を読み込むと、想像以上に、江戸時代の科学は進歩していたことが分かる。
西洋時計と和時計のほか、曜日や二十四節気、旧暦の日付、月の満ち欠け・・・。あらゆる"時の概念"、"匠の技"をひとつに凝縮したこの傑作の誕生により、嘉永5年(1852年)に「日本第一細工師」の招牌を受け、「田中久重」の名は世に知れ渡るところとなる。
そして、下記のブログにあるように、まさに時計は「魔改造」を施されていた。
江戸時代は、近代的なものや科学的なものが存在しない世界だと思っていたけれど、医学の分野でも科学の分野でも、一定の進歩はあり、しかも諸外国からの情報は入ってきていたように思える。しかも、我々が勘違いしているだけで、相当なレベルだったのではないだろうか。
スタッフの戦術的な理解度が高い状態のおかげで、維新戦略は成功した?
教科書に書いてある内容が信じられないのは、この江戸時代の天才達がどうやって育てられたのかが良く分からないことである。そして、富国強兵とか、拓殖産業的な根性論やスローガンだけで、明治の近代化ができるとは到底思えないのに、そこがショートカットされてしまう。
私が思うに、明治政府も、維新という「戦略」を実行するためには、戦後の産業育成に必要な人材の確保にメドを付けておかなければならなかったはずだ。そうしなければ、ギャンブルになってしまい、下手をすれば、清や朝鮮半島など当時のアジア諸国と同じように諸外国の侵攻を受けることになるということは十重に理解していたと思う。
そういう意味では、既に、国内に一定数の「戦術」理解度の高い人材が揃っていたのは、救いになったのではないだろうか。だからこそ、欧州であれば「革命」に近いイベントで国を分けた血なまぐさい戦いになるはずが、明治維新は、思ったよりも戦死者が少なくなったのではないだろうか?榎本 武揚を始め、旧幕府側には、戦後すぐに活躍してもらわないといけない人材が多かったのではないかと思う。
この天才達を生みだしたのは、江戸時代の教育教育思想や仕組みなのだが、時代が変わっても原理原則に強いイノベーティブな人材を育て上げていた仕組みを日本にあわせてカスタマイズして持ち合わせていた点は、現代でも参考になるところがありそうに思える。
万年時計を開発した「田中久重」は、東芝の創業者だった
ちなみに、冒頭で紹介した時計の開発者の、田中久重は、その後も多くのプロダクトを作り出している。しかも、70過ぎてから東京に上京し、80過ぎるまで一線で指揮を取っていたようだ。
- アームストロング砲
- 電話機
- 製氷機
- 自転車
- 精米機
- 写真機
- 昇水機
- 改良かまど
- 旋盤楕円削り機
- 煙草切機
- 醤油搾取機械
- 種油搾取機
- 報時機など
この、田中氏が創業したのが、実は「東芝」なのだ。知らなかった。
創業者は、稀代の発明家であったが、彼の死後は会社の拡大によって、創業当時の雰囲気は早々に消え去っていたのかもしれない。同様に、同時期にエジソンが創業していたGE社も、創業者の立ち去った後は、コングロマリットとして生き残っているところを見ると感慨深いなあと思う。そのGEと東芝は、戦前から資本提携していたことも、何かの因果を感じざるをえない。
会社よりも大事な、誰が上司になるか問題
就職&転職の際に多くの人が忘れていること
売り手市場ゆえなのか、就活生と面談すると、いくつかの会社の内定を持っているのだけど、どこの会社に行くべきか決めかねているという相談を良く受ける。自分はそうした相談を受けると、決まって聞き返すことがある。
「内定をもらっている会社で、誰の下で働くのか決まっているのか?」と。
大体の子はそんなこと考えたことが無かったと言う。そして決まっていないと言う。
特に働き始めの頃に、個人が仕事ができるように成長していくのは、会社ではなく、ロールモデルとなる上司(師匠)の関わり方によって、決まる部分が大きいことを忘れているのだ。これは非常にもったいないことだと思う。
極端なこと言えば、皆が羨ましがるような会社に入っても、ポンコツな上司の下に配属された場合、その自己満足の効能は1-2年のうちに吹っ飛び、「なぜこの会社を選んでしまったのか」、「他の同期たちは活躍していて羨ましい」と思い始めることになる。
あなたが配属されるのは、会社ではない。部署だ。
その部署の上司の変更はすぐには利かない。
なぜ、「誰が上司になるか」に拘るのかは、働き始めの20代の頃の時間がとても重要だからだ。20代は自分自身に向き合う時間・カネ・体力の「自由度」が多くあるのだ。
想像しておいた方が良いのは、30代が近づき、結婚して、家族が増えれば、20代の頃とは比べ物にならない位、制約が多くなっていくことだ。そうして、自分自身に対して、自由に費やせる時間も、カネも、体力も減って行く(変わりに、家族から提供される「幸せ」もあるけれど)。
この3資源をこれでもかというくらい先行投資していくのが20代で成長する極意なのかなあと思う。そしてその投資先の多くは、必然的に、最初に配属された部署の上司に委ねられるのだ。だからこそ、あなたの提供した「時間・カネ・体力」を最大限レバレッジしてくれる上司に巡り合えなければ、あなたが十分に成長しないうちに、ただただ資源は浪費され、次の世代の入社とともに入れ替えられる運命にある。
少なくとも、この瞬間における自分の未来の多くを、あなたは全くの見ず知らずの上司にかけている事を理解しておいた方がよい。
イチローだって紙一重で、凡選手になりかけた
どれだけの能力や天性を持っていても、組織の中から抜きん出るには、周囲の支えが無ければ難しい。どんなに素晴らしい大学を出ても、どんなに素晴らしいキャリアを積み上げていても、結局は組織である以上、周囲の関わりはゼロにはできない。
優秀な上司の下に配属されれば、模倣することで一気に成長スピードを速められるが、
肝心のロールモデルがポンコツだと、そのロールモデルレベルにしかなれない。圧倒的な能力を持つ上司を持つことは凄い重要なのだ。そして、上司も出世し、更に大きな仕事を振ってくれるプラスの相乗効果が得られる。
天性の能力が周囲に理解されず、上司によって変わった例は、イチロー選手だろう。入団当時の監督には、彼特有の振り子打法が理解されず、2軍に落とされていた。そんな中、仰木監督が就任したことで、一気に世界的なプレイヤーまで駆け上がれたのだ。そして、仰木監督も、オリックスを優勝に導いたわけでWin-Winになれた。スポーツ界ではこんな事例はごまんとあるけど、ビジネス界も同様なのだと思う。
ちなみに、私の新卒1年目は邦銀の開発部門だった。残念だけど、上司によってレバレッジされたと感じる部分は全く無かった(だから1年で退職した)。プログラミング開発に費やした時間分だけが、その後の自分の資産になっただけだった。
上司を自分で選ぶチャンスは手に入るか?
では、早い段階から、上司を選ぶ側に回るにはどうしたらよいのだろうか?新卒の場合、大企業への入社を決めた時点で、これはかなり難しいと思う。大企業では、誰と働けるか、入社前にお願いしたところでほぼ適わないのだ。
採用にも関わっていた手前、感じるのは、新卒の採用人数はしょせん「リソース」だと考えている企業人事は多い気がする。だから、希望に満ちた新人の一人ひとりの個性や特徴を考慮して活躍できそうな部署を見つけ出す前に、人員が不足している部署の要求を満たす方を優先しがちに思える。
ここで、人数の小さな会社やベンチャー企業で働くメリットが出てくる。メリットは、誰と働けるかが事前にコントロールしやすいことなんじゃないかと思う。会社の顔となっている社長の近くで新卒が働く機会は大企業ではまずなさそうだし、成長著しいプロダクトを担当する部署を指名して入社するのも困難だろう。
けれども、小規模な企業であれば、可能性がまだあるのだ。プレスリリースで目にする「あのプロダクトを担当した○○さん」と一緒に働きたいという願いが叶う可能性が、大企業にいるときよりは少しでもあるわけで、これはメリットだと思う。
だからこそ、転職のタイミングは、新卒時代に叶わなかった、部署や上長指名での入社のチャンスなのだ。それなのに、また会社名で転職先を選ぶ人がまだまだ多いことを考えると、もったいないなあと感じる。
大企業で恵まれた上司に出会うのは、「運」にも左右される
こんなこと言ってしまうと元も子も無いけれど、大企業で、理想の上司を自力で勝ち取っていくのはどうすべきなのか自分でも結論は出ていない。会社を辞めようと思ったタイミングで、偶然アサインされたプロジェクトが、大当たりして、気が付いたら上司と一緒に昇格する事例もたくさん見てきた。
けど、誰かがアサインされるのには理由があるはずだ。
独りよがりに自分の能力を磨きこみすぎても、結局周囲のスタッフが気にしてくれなければ、宝の持ち腐れになるのだ。その能力を、1人でも多くの周囲のスタッフに気が付いてもらえるように、常に手助けしようと心がけ、他人のために使っていこうとするスタンスでいることが、結果として、自分の「売り込み」に繋がるのかもしれない。
まだ出会っていない、素晴らしい上司にいつか出会えることを期待して、毎日「徳」を積むしかないのだろうと思う。それが嫌ならば、小規模な会社に転職するか、会社を自分で設立するしかないのが現状ではないだろうか。